昨夜、話題の本を超駆け足で読みました。
先日の全社MTGで、来年行う予定の賃金制度改定、組織制度改定への一次説明を行いました。その中で、
「従業員にとって会社は何のためにあるか?」
という問いを投げかけました。スタッフからは
賃金を得る、仕事を得る、やりがい、自己実現などいくつかの答えがあり、総じて私は
「幸せ」
という答えを定義しました。一言でくくりましたが、それは宗教的でも抽象的なものではなく、賃金アップ、評価アップ、能力アップ、など。定性的で定量的であるべきです。
さて、先の本を読みながら、なんとなく思いついたことがあります。
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努力によって、幸せ(達成)を得た人間は、次に自由を得れる。
自由とは、自己裁量である。仕事も他人から任せられることが増える。
自由を得た人間は、それを行使する責任、行使する結果への責任を持たなければいけない。
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正義の基準は時代や条件によって異なります。戦争ではクスリを飲んで特攻することが賞賛されるし、平和な時では、クスリなどとんでもない、となる。何が正義なのかは、結果論でしかわからない。
先のほうにあった、暴走路面電車を止めたいが、乗客を守るために、他の犠牲が必要な場合どうするか?という設問で
沈黙の艦隊
という、かわぐちかいじさん作のコミックスのどこかで、架空の登場人物、竹上総理が避難ボートで誰を生かすか?という問いに泣きながら
「私は全員を生還させたい!」
というシーンを思い出しました。
我々は今、救命ボートで海を漂っている。
60分以内に2名を降ろさないと、20人のチーム全員が乗ったボートが沈む。
1名が病気、5名が女性だ。
さて、決めるのはあなただ。どういう行動をとりますか?
そんな、採用面談、リーダー面談はシビアすぎるなぁ。
正義とは?
その結果を後世が判断する、あいまいなもの。
かな。