「人事考課をせねばいけません。
・信賞必罰なのか、
・やってもやらなくても同じなのか、
・やって失敗して評価が下がるより、やらないほうがいいのでは
ないか」
などとお客様に相談していたら、
「社会自体が不条理なんだから、評価自体に理不尽さが伴うのは当然なこと」
と言われ、「おぉ」と思いました。
そのお客様は、トップシェアメーカーの役員様です。
毎度、「おぉ」な言葉を頂けます。
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私が考えるに、そもそも人が人を裁くことなどは、本質的にはできない。
時代や環境によってさだめられた、「人が勝手に作った法律」が基準になっている。
・戦時中は、覚せい剤も合法だった。人を殺してもよかった。
・大麻取締法が厳しいのは、同様の効果が得られる酒と違って簡単に栽培でき、
課税がしにくいから。
・昭和初めまで、「間引き」もあった。
etcetc
さて・・・人事考課は
会社の人事機能がつくった、「勝手な社内法」によって社員を評価する。
だから、指標をできるだけ明確にするために
・定量的 = 数字 = 誰でもわかるメジャー
・定性的 = 感覚的、計れない
を、とってつけることになる。
そして、
賃金に反映する
ことが重要になる。
賃金は上がっていれば文句は出ないが、下がっていれば文句は出る。
成長が矛盾を内包する。だから企業は成長しなければいけない。
横ばいは衰退を意味する。下降は死を意味する。
また当然だが、評価時点では結果がでている。その評価に対し
低い者には、「今後への期待」
高い者には、「維持とさらなる向上」
を、直接説いてあげればいいのだろうが、とても苦手だ。
「人から言われる前に自分でやりゃいいのに・・」
と思ってしまう。
なので去年から、
を作成して、結果を論じている。
設定した未来・目標とのギャップを評価という形で計るわけだが、
「過去」からの結果を「今」論じても、「未来」が拓けることなどはない。
きっかけにはなるかもしれない。
だから、
「やった?やらなかった?」
「できた?できなかった?」
を毎年ブツブツ言うわけだが、いいかげん飽きてきた。でも
「自己責任だよ。」
と放つほうにも、自己責任はあるわけだ。
「自己責任だからね。」
といって、
社員を活かさず殺さず雇用し続け、価値のない会社にするのも、自己責任。
だから、「メッセージとして、評価を下す。」
なにかいい方法はないものかなぁ。