今年は東京にも、人材サービスの力を入れていきます。先日よりメディアをにぎわしている顧客を訪れました。
1階ロビーの様子。定期的にコンサートをしているらしい。
さすがというか、「タイムドメイン社」のスピーカーが置いてあります。
家に欲しいんだよなぁ。
勢いのある企業は違う。
それでいて、管理者層は危機感をもって仕事に励んでおられます。
さて、帰りの新幹線。
東京→大阪で、「オヤオヤ」な行動をとるのは、某メーカの方々と相場が決まっている。
ボタンホールに社章を付ける、という奇妙な文化
どこの会社の所属かすぐにわかるのに
・徒党(横3列)で宴会
・大声
・靴を脱ぐだけならまだしも、足裏をこちらに向け、においをはなつ。
etc
今回の帰阪でも、かの社の社章をつけたとなりのオッサンが
「ここはあんたの家か!」
と思う行動をとっており、ヘキエキとした。
かの社の研究職を幾人か知っている。管理職も幾人か知っている。
とても純粋でまじめな方が多いのだが、お隣さんのようなごう慢な管理者によって、
基幹部品、基礎技術はすごいのに、最終製品が、オヤオヤ。
なことになっているのではないか、と思う。
もっとも円安1円で、とてつもない利益が出せる会社でもあるし、それだけ納税をしている。
「日本は、我々が支えている」
「日本の家長は、我々だ。」
という自負が、
「日本のすべて、イエ」
という感覚に駆り立てるのか。
日本に、フルラインアップの家電メーカはたくさんある。
人口減の国内市場は捨てて、より川上の基幹部品や、川下でも枯れた製品(乾電池とか)に特化していくのはどうだろう。
また実は、この会社(レップワン)でも社章を作ったことがある。私自身1度だけはめてみたが、
「とても気持ち悪かった。」
ので、お蔵入りになっている。
そういえば過日、
バーで話している際に頂いたアイディアを図にした。これはかなり本質ではないか、と思う。
その方は
「感情をコントロールすることによって、すべてがうまくいきだした」
とおっしゃっていた。
個人をダイレクトに見るのではなく、仕事というフィルタを通して個人を見る。
「会社というイエ」への帰属意識が高いことはよいことだろう。
しかし、血縁ではなく契約で結ばれた関係である以上、限界はある。
自分のパフォーマンスを最大化する道具
が会社であるべきで、
会社のために、自分を最適化する
のは、よくない。
「大きな会社というイエ」に入れなかった者のやっかみなのだろうか。
視野が会社に近ければ近いほど、視野狭窄になる。
新人が3年で辞める。というのは、ある意味正しい。
会社と近い(近視眼的に、会社しか見えていない)分、期待値とのギャップが大きいからだ。
星 新一さんの小説でそんな話があった。
少年少女のころは純粋で、「大人をやっつけたい、大人に憤慨」していたが、
彼らが社会人となり、それを是正しようとする宇宙人が来た時に
「とんでもない、必要ない」と否定しだす大人になった、という話だ。
「いったんイエを出て、純粋に仕事を通じた、視点、視野、目線」
ということの大事さを感じる。
と、私の顧客で社章を付けている人がいないか、思い返してみる。
全く、いなかった。