個の時代?
先日、2大商社御用達のお店でご相伴にあずかった。
「ウーロン茶!」
で乗り切るトレーニング。
飲酒時と変わらず、いけるじゃないか。
ホステスさんに、軽口をたたけるじゃないか。
決して、得意でも好きでもないカラオケも、照れながら歌えるじゃないか。
アルコール抜きでもいけるということがわかった。気の持ちようだ。
そして、お店はさすがの格。
オーナーママさんが挨拶に来られ、話せてラッキーだった。
そんじょのホステスさんとは、オーラがちゃう。
顔に艶。笑顔は福。
どう見ても、ン百万の腕時計、えぇ?な。帯、着物だ。
・30年ほど前は、1,200万円のピアジェがプレゼントで飛び交った。
・人事は、すべて夜に決まった。
・インサイダーかどうか、話している情報で株を買い、
ホステスさんも何千万も儲かった。
・今は、そんな人いない。
・以前は、「会社の脈を守る」という意味で連綿と店を使ってもらったが、
現在は、「先代、先輩の店はイヤ」ということで、
自分の店、他の店に行きたがる。
etc
最後の「自分への傾向」が気になった。
私より1世代上、団塊の一世代下から始まる、「個」の時代の象徴だろうか。
「個」の時代が、不連続を創る。とは言われる。
精神科医の和田秀樹さんの著書で人間を
シゾブレ / メランコ
の2種に分けておられた。
今の50代前半以下は、「団塊の世代」の「集」とはまた違う文化がある。
「オレは他とは違うんだ」
という価値。そういえばよく聞く、
「ウチの会社(チーム)って、個性的なメンツが多くてさぁ」
というテイのいい表現がある。私からすれば、
「そりゃ、当たり前でしょうが。」
と、シラけてしまう。なぜなら、自分以外はすべて異質、異物だから。
「個性的だよね。」
というのは、きれいな言い訳に過ぎない。
自分と他人が、それまでの環境、教育によって、表現方法や価値観が違うのは当たり前であり、100%マッチなどありえない。
「個性的」と、まるく納めるのはよいが、つまるところ
「私と違う」
だけのことである。
たとえば、原宿には「ゴスロリファッション」なる人たちがたくさんいる。
田舎で見たらキワ者だが、たくさんの中でいれば、私も、皆と同じ。
それが普通。となるわけだ。会社でも同じ。
個性も集えば、没個性。
である。
そして、私が考えるのは、個性「単に、自分と違う」ではなく、
「独創性(その人だからできる)」
を尊重すべきだと思う。
同質性、異質性、独創性をどうまとめるか、進めるかが重要なことで長の役目だ。
独創性を尊重し、個(異質性)の集合に、ルール(同質性)と役割
を与え、目的/目標達成させてこそ組織。
だ。
右向け右。は当たり前(右半分は180度もある)。
右に、「何度向く」のかを示す、させてこそ組織。
「ボクは、私はこうだから」
という、個性をはき違えた
どうでもいい主張 につきあい、
時間あたり価値の少ない、なれあい集合 の長
にはなりたくない、と私は本当に思う。
また、そんな会社にはしたくない。
ということは、連続を創ればよい。
さて、商売というものは「不」を解決することから始まる。
・不足
・不安
・不眠
・不明
・不可能
・不合致
・不満足
・不思議
・不衛生
・不完全
・不機嫌
・不自然
・不整合
・不似合
・不格好
・不細工
etc
今、
「不連続の時代」
だとしたら、「連続」を創ることはキーになるのだと思う。
「ストーリー戦略」とも似るかもしれない。点を、線でつなぐ。
たとえば、e-commerce。
今まで、「買い物に行く」というバラバラに行われていた、
不連続な行為が、すべてネット上で完遂できる。
・比較(品質、価格、競合品)
・購買決定/発注
・決済
・引き渡し
を、一気につなげるものではなかろうか。
そしてそれぞれ、第一人者の業者さんがいる。
不連続の時代に主導権を握るのは誰か?
また、SNSも「個と個の連続性」を創っている。
「いいね!」「リツイート」など。
が、そこで主張されている「個性」というのは、
「他人と違う、わたし」
「他人に賛成する、わたし」
というのみであり、そこに価値があるかないか、は別物だ。
価値=行動
だ。
もちろん、
「個を集めることができる。」というのも、当然価値だ。
そして、「行動させる」までいかないと意味がないわけだ。
会社も自分も、顧客の”不”を解決できる、
真の個性(=独創性)
ということにこだわっていきたい。