アンヘドニア?不感症。
数か月前に心療内科にいったら、「アンヘドニア(無快楽症候群)」と言われた。もっとも、重い症状があっての診断ではない。数年に一度学術的アプローチから自分の精神状態を判断してもらう。前回は8年前で、当時も同じ診断を受けていた。異常に「~べき」が強いというテスト結果がでているらしい。女医さんも年を取ったなぁ。
先日、スタッフの女性と2名で食事をしたときに、こんな会話があった。
福田)この年になると、たいていのことは経験してきたので、不感症になりがちなんですよ。で、新しいことをするんだけどすぐに飽きる。
スタッフ)だったら、経験から得たことで、同じことでもその感度を上げたり、見方を変えればいいんじゃない?モノサシは自分しだいでしょ?
福田)なるほど! ※相変わらずビシっと言う女性に弱い。
国政に携わる人
先日、知人に誘われて食事+勉強会に行った。10余名でテーブルを囲む。
「先生、先生」
と呼ばれる人がいたので、
「あの人、誰なんですか?」
と聞いたら、
「国会議員さん」
とのこと。マジ?
初めて2mの至近距離で聞いた、少し話した。やはり話がうまい。肌ツヤ、血色、存在感からして人物そのもの。その口調、内容は論理(アタマ)ではなく、人の感情(ココロ)に訴えるのだ。人を動かすのは最終的には感情(ココロ)だ。
さまざまな感情によって歪められた、利権の主張、事実の解釈をなんとか解決しよう、国のために。という使命感を半端なく感じる。氏の名前は記さないが、帰宅後にwikiってみたらスーパーエリートな経歴+スーパーな政治家さんだ。信じられん。
こういう方が小さい食事会にも顔をだし、地元選挙区の10万戸以上の家々を訪問し、自らを訴え、当選している。「先生」は、参加者全員と握手をしてテーブルを去った。力強い握手だった。
私は、選挙や政治に興味はない。ワールドカップにも興味はない。自分が知らん人たちと、その人たちの舞台を応援することはない。知っている人で、内容に納得ができる場合は、ちゃんと応援する。が、先の方は、選挙区を超えて、政党を超えて、個人として一票を投じたい方だ。男が惚れる人というのはこういう人のことを言うのだろう。
二度とないであろう機会に感謝し、備忘する。
・初選挙で、看板、カバン、地盤もなかった(看板は知名度を、カバンはカネを、地盤は後援組織を指す)。
・(領土問題の時)政治家が守るのは、国民の安全と財産。村の議会での争いはケンカだが、国同士のケンカは戦争になる。軍人の問題にはしない。外交で解決する。
・中国と誠意ある外交姿勢を見せない、最初にあたらないから、問題がややこしくなる。
・TVの前や、講演で話すときは、「無私簡素」を心がける
無私:うまくやろうとしない。 簡素:できるだけシンプルに。
など。
不感症な自分に、「!」を与えられる会だった。最近は、自宅でピアノの練習をしている時が一番、飽きない時間だ。自分の使命とは何か。いまさらピアニストではあるまい。
会社とそれに関わるいろいろな人、コト、モノ。意義や使命感のある仕事をしたい。
眠そうな外人が「the way it is」を、ピアノでカバー w/ キレイなアレンジの動画。