昼・・・
とある待合にいた。国会中継が流れていた。音声は無い。
代議士がかわるがわる拍手に送られ、お辞儀を繰り返して登壇し、何かを読み上げ、訴えているようだ。
代表質問、という儀式らしい。
ホワイトボードも、プロジェクタも使わず、重要ポイントへの焦点もない。
フム・・・
・ 会議とは、決めるところ。
・ 質問とは、正しい回答、正しい実行ができる人に対してすること。
・ 議論とは、解決方法を模索すること。
ではないのか。グチなら家族にでも聞いてもらえばよい。
読みあげるだけなら、原稿をネットにUpすればよいのではないのか?
なんたる、没個性プレゼンテーション。
この、単価の高い方々は頭も良くて、志も高いのだろう。
が、時間の使い方が異常に変わっている。つまり、 「ヒマ」 。
と確信した。
彼らも、「つきあい」「慣例」で国会に参加し、それが執務のうちなのだろう。
関係ないであろう議員もたくさん会議に参加している。
まさに形式美である。が、お国の難しい問題なので、集合知が必要なのかもしれない。
彼らは、コトをややこしくすることに使命があるシステム=仕組みだ。
決議を彼らにアウトソースする仕組みにゆだねているのは、我々国民だから文句を言っても始まらない。
一部の国民(当たり前だが、投票した人)の代弁者であり、
儀礼的で冗長的な彼らの合議による決定が、対立や戦争を生み出してきたではないか、と思う。
※持論
「投票に行きましょう」はいい。
「拒否します」という選択肢が無いのはおかしい。
だから私は選挙に行かない。棄権=拒否ということなのだろうか。
拒否の票数が、得票数を上回ったら無効でいいのではないか。
代議士が、「有権者」ではなく「投票する人」へおもねる政策を生み出すのは当たり前だ。
「一票の格差」は、世代人口の差にもありえるのではないのか?
さて・・・
アルコール禁なので、「つきあい」はできなくなり、「酒宴」を企画することも一切なくなった。
もはや、自爆的に飲むこともない。今後もない。
家で、餃子を包みながら考え事をしてみたり、
近くのワインショップでオーパスワンの試飲ができるよ。と知人を連れて行ってみたり。
クラシックを再び聴きだしたり。
やはり、これはイカス。
生活のルーティンが、全く変わった。
ヒマ。
なんだが、子供時代に戻ったようだ。
欲望、享楽、地位、カネ、みせかけの責任など、人生の添加物によって、子供は大人に変わっていく。
遁世的?
おつきあい全開だった会社運営、
なれあい全開の人生運営、
を変え、結果を出さないといけない。
ともあれ今年は、 島めぐり 、をしてみようと決めた。