前置きが長くなった。何かの記事で
「隠岐諸島の観光ポテンシャルは高い」
と知っていたので、気にはなっていた。
調べると、伊丹空港から空路1時間ではないか。そこ(隠岐の島の西郷港)から1時間のフェリーで島前3島に着く。隠岐の島で入った居酒屋の主人が言っていたが
「竹島に一番近いのは隠岐諸島。
有事に備えて、ジェット機が降りれるよう隠岐空港は滑走路を延伸した」
と。
つまりその気になれば、東京からもジェットを飛ばせるはずだ。が、私が思うに隠岐の島(島後)は観光に力を入れていないのか、興味がないのか、オフシーズンだったからなのか・・・
・まず、空港から市内へのバスの接続が悪い、わからない。
※帰りの西郷港フェリー着時間から空港へのアクセスも。
・さびれているのだが、妙な自信
(島にはなんでもある、というスナックのママの発言)
・一応、隠岐諸島で一番大きな島(面積、人口)という自負
・特産品ショップなどの不在(あるにはあるんだが、統一感がない・・・海士町比較で。)
最終日に過ごした中ノ島(海士町)とは、ムードが明らかに違ったように感じる。
その海士町について。
若くてかわいらしい人が多いということに本当に驚いた。入り口である菱浦に観光施設が集中しているというのもあるのだろう。それにしても非常に興味深い島だ。
フェリー乗り場にあったポスターからして、
「ないものは、ない。」
自虐でもない、かわいらしいキャッチコピー。
※画像はこちらの記事より。
「お?」と思う。
①無くてもよい
②大事なことはすべてここにある
潔い本質追求。記事にもあるデザイナー梅原氏は確か、高知県物産のリデザインで実績を上げている方だったはず。また、先の町長が書いた本には
・地産地商(消費ではなく、商い)
・小さな利益より大きな利益を(ROI経営ですな。)
と商売の本質が書いてあった。率いる首長の姿勢、働きでこうも成果が変わるものか。彼がやったのは、町民の意識、価値観の変革と、自らの身を削り背中を見せる実践なのだ。
もちろん地商済み。地元の拠点、キンニャモニャセンターで買ったクエ。
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1.7kgで2,800円とか安すぎ!浜値いくらなんだろうか。漁協の力。コノコ(=バチコ)は後述の移住者が創った会社から。
飛行機に持ち込んで運んだので、当日に上がった魚を新鮮なまま自宅でさばいて夜にはクエの刺身と鍋に。大阪で食べたら1.5万円はくだらないのではないか。
さらに検索すると、こういった取り組みが奏功しているらしい。宿は、こちらにお世話になった。女将さんは民謡を歌ってくれ、記事にもある一橋大学出身の方が三味線を弾いてくれた。民宿の女将さんに話を聞くと、
「以前は本土からの研修生と婚姻を進めたこともあったが、うまくいかなかった。」
らしいが、考えてみるに、
・ライフスタイルのゆるい提案
・土着文化をそこそこ大事に
・温かいコミュニケーション
が現在の成功の秘訣ないだろうか。
帰りの船を待つ待合室で勉強していた女子高校生二人組、毎度手を止め、明るく「こんにちは」とあいさつしていた。
隠岐の島の繁華街で一緒になった松江のビジネスマン(Uターン)は
・島それぞれに文化が違う
・日本の将来の縮図がここにある
と言っていた。先にも言った、「都市は疲れるが、田舎は飽きる」+稼業への飽きもあり、私はよく旅をする。
・地方:漁業、工芸品に興味を持つ。
・民宿:ホテル、旅館など、大資本が展開する施設に泊まらない
※過剰な笑顔産業はしんどい。
をキーワードに。都会の花街や虚栄にカネを落とすより、よほど楽しい。
「おもてなし」
が客人に受けるのは、個人主義の外人たちが、
「WOW、布団ひいであるじゃん、なんでもしてくれるじゃん。」
と
「3.プライベート」
な領域に入り込むサービスに、旅行中にだけ感動するだけのこと。日常には要らん。
自力解決が当たり前の大陸系混在欧米人
と
相互扶助が当たり前の島国系単一日本人
では価値観が違って当たり前だ。日本においてももはや、
・地縁 / 職縁があってのおせっかいは、助け合い
・それが無いうえでのおせっかいは、過干渉
と、十分に個人主義になっているではないか。その点民宿は
「着いたら布団引いてある。宿をちゃんと選べば、ほったらかし」
で、安く、うまいものを食べれる、たまに話も聞ける。
※民宿探しには、大手サイトでの検索ではなく、
「Googleマップ+口コミ」が役に立つ。
その土地を表示させて「宿泊」と検索したらポイント表示される。
さて、隠岐の西ノ島、中ノ島は電動サイクルで十分まわれる。
・利便性と効率を求めた都市集中
or
・生き方と自然に従う地方分散
のはずだが、地方創生は悲しいかな「都市の標準」を向いてしまって、なんのこっちゃなことが多い。
街の人、今の時代ってこんなこと求めてるんでしょ?
という怪しいコンサル屋が絵にかいた、取ってつけたようなもの。もしくは、資本が入って
富裕層向け or 感度が高いとされるリゾート
がうやうやしくオープンするか。
※宮古島がいい例。あれは完全に上位中間層~富裕層向けリゾート地だ。
が、それは、田舎の人が自ら考えたことではない。田舎は不便だからこそ田舎で、そこにこそ魅力があるのではないか。田舎の日常の延長にこそ、「都会にはない何か」が潜んでいるのではないか。
海士町のような
・できる範囲で自ら考え、実行し、
・ムリの無い、自然体な島
を感じたのは初めてだった。
なお私は、
・仏事神事:意味と効果が、全く理解できない。
⇒先人の知恵というのはわかる。が、「ご利益」があるとしたら、等価で「災厄」もどこかでもたらされているだろう。「お参りや祀る」から「一方的にもたらされる」って科学じゃないヨ。求めたら、求められるんだよ。
※にわか信心と間違った方法でお参りしてもご利益あるわけないでしょ。映画とかで悪役が祈祷方法間違え、自分に災厄が降りかかってるじゃないか。
※そもそも神社仏閣多すぎ。全国に10万以上?歴史的にも、神仏習合なの廃仏毀釈だの、よくわからんことやってるし。八百万と美化するのはいいが、いかにも日本人(選択と集中が苦手)っぽくてやだなぁ・・と思う。まぁ地政学(極東の孤立)、地形的(平地が少なすぎて、山が多すぎて隣村との断絶)にも仕方ないか。
・地域地縁社会:いまさら必要じゃないし、そもそもいない。
⇒現代人はそこに頼らないために、家業⇒産業という形で技術と科学を発展させてきた。が、結局隣人とのアツレキは「階級」という名で、さらに新たに大きく、産まれた。
※そもそも、宗教なり地縁は、国体が脆弱で警察機能が弱かった時、その世界観を民衆の道徳心に訴える、植え付けることで民を統制する機能を持った。寺が戸籍や土地を管理したのもその一翼。が、近世ではその使命や機能を国民国家が持ち(”国家神道”という名のオカルトは昭和初期にこの国民をどこに向かわせたんだっけ?)、現代ではITが担うことになった。と私は考えている。
・・・つまり、いまさらの宗教にヒジョーに懐疑派。
「死後の世界?アンタそれどこで見たんや!」と思ってしまう。
たとえ私が、「短命で病弱で不運」だったとしても、それは「業(カルマ)でも不信心」のせいではなく、「遺伝と生活習慣と選択ミス」。だけの話。
戒名なんて死んでも要らん。だいたい買うモノじゃないだろ。今どき免罪符かっての。死んだ後の天国極楽より、現世での才能をくれ。と・・・
ド・狭量ではわかっているので日本国内で移住することは絶対にない。
「結局、どこに住んでも生きにくいよね」
か。で、安息の地で詩なり絵ができるようだが、それすらも売れなきゃ食ってけないぞ。生きにくいから隠遁して生活保護受けてます。ってそれも違うだろ。
不便な田舎で、懸命に生きる。
のか
都会のシステムにのまれ、なんとなく生きる。
なら、私も100%後者であり、どっちがいい悪いでもない。
一生懸命で、すがすがしいが、(相対的に見て)貧しい。
は、世俗にまみれた私にはいまさら不可能だ。
YOU! 心がトッテモ貧しいネ!
と言われても、土着の地も執着する相手もないし、ほっといてくれ。だ。ともあれ一つのカウンターカルチャーとしての田舎の
・多くを求めず
・地域資産の創意工夫で商い
・自然な価値観の実践
は、効率化、分業化された一歯車としての都会人も「学ぶ」べきことが多い、特筆すべき島だと思う。
※前述の海士町 山内町長は今年で勇退した模様。
http://www.town.ama.shimane.jp/topics/6000/16.html
結局、「感謝と気合い」が必要ですか・・・。そうですか。
ps
西ノ島の摩天崖、中ノ島の明屋海岸は行くべきスポット。
ここにトレックを自然と共生して整備したら、素晴らしいんだが・・・
※カウアイ島のカララウトレイルとも並ぶ、本当にいい景色だった。
が、すでにアララ・・なテンプレート観光整備工事中。「不便」「不足」だからトレイルなんだけどねぇ。自販機いれてどうすんのさ。
整備が必要なのは、道路や設備じゃなくて、
・日本人の余暇意識(もっと自分で工夫して遊べ。)
・ 同 価値観(足を引っ張り合うな。ムダな同調をお互い求めるな。)
・ 同 労働力の配分(ホワイトカラーや因習をムダに作るな守るな。)
だと思いますけどね!