10代のころ、五木寛之氏の著作を読み、
「人は、死ぬために生まれてきた。」
などとあり、なんちゅー暗い人だ。と思っていた。
しかし、自分も人生折り返しの年を過ぎると、それなりに意識を始める。
年齢とともに自分の価値は、安くなっていくのか、高くなっていくのか。
少なくとも身体的能力はとうにピークを過ぎている。
石鎚山頂から天狗岳を望む。
を目指したい私だが、この状況は一歩間違えると
立っている方々の右側はガケ。
コロコロ、ガクリ
となる。
衆目の前でそれだけは嫌だ。
と、無様に岩肌にしがみつきながら天狗岳の往復をした。
足がすくむ、とはこのことだ。
山男という種族は、ほんまに信じられん。タタっとかけていく。
あなたの30cm、後ろ(横)、ガケですやん。
ガケの上より、カメラだけ出して撮影する。
石鎚山は、こなれた方々にはさほど危険ではないのだろう。
私は初心者で、普段の生活の安全性とのギャップは大きい。
また普段、私が思っていたことで、
派遣社員から、起業もした。
運だけで、スタッフと顧客にめぐまれ、会社は10年目を迎えた。
結婚も一度して、離婚もした。
重い病気もしていない。
車も買った。
海外にも不自由なくいっている。
ゴルフもした。
マラソンもした。
それなりに楽しい人生だ。
etc
これ以上何を求めるのか。
ということを考えていたのですが、山にて、
「ここで終わるわけにはいかん!」
と大げさにも、思いました。安全が(場合によって完全に)確保されない場所は、
生きるということへの、改めての気づき
にとてもよい経験になりました。