この休みを利用して、
1.祖母の見舞い
2.剣山登頂
3.国民宿舎 面河に宿泊
4.石鎚山登頂
5.オレンジフェリーで、愛媛の東予港から夜便で海路帰阪
をもくろみました。 結果、5はかなわず。 楽しみにしていたのに。
四国開発フェリーのオレンジ7 ナイスなネーミングだ。
夜行便特化戦略は、そのポジショニング、収益性から正しいと思う。
東予港は、(期待していた分)
びっくりするほど味気のない港なのだが着岸料などが安いのだろうか。
地域空港を使うLCCと似ている?
事前に席の予約はしたのだが、「会計は現金のみ。」と窓口で。
クレジットカードはあったが、登山用だけの現金しか持ち合わせがない。
銀行のカードも持ち歩いていない。
キャンセルチャージがかからないらしい。仕方なく、キャンセル。
出航時間(22:30)には、車でプイっと帰宅していました。
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私の祖母は90歳で、特別養護老人ホーム、いわゆる特養に入っています。
生かされているのか、生きているのか。 はなんどか、このブログでも書きました。
祖母は初孫であった私をかわいがってくれ、毎年お年玉をくれ、いまだ会うたびに、
「結婚はしたか?なんでしないのだ。」
という祖母に、せめての見舞いに行きます。
しかし、今の私に何ができるわけでもなく、自分の人生を捧げて看取るわけでもなく、えらく中途半端な気持ちになります。
床の上の祖母に
「結婚したよ」
と、便宜を図ればよいのかもしれない。が、ウソはつきたくないし、安心してフッ、も困る。
「結婚は、ゴールじゃなくて幸せのための手段の一つなんだよ。」
など、とんでもない。
私はすでに母親と弟を亡くしていますから、何気ない情景が当時を思い出させます。
人の死というのは、関係する人への死生観や価値観への影響はとても大きいです。
彼らの死への対応を今も悔恨していますが、何も始まりません。彼らの死に対して、
「悲しいというより、自分の無力さ」
に対して涙が出ていたたのかもしれない、と思います。
「何もできないことを知っている。」
から、その現実から逃げていたのかもしれません。
また私は、
「ドライ。なんか冷めている。うさんくさい。なんか他人を見下している感がある。」
などなど言われます。
自分では意識していませんし、思ってもいませんが、自分の評価は他人がするものなので、そうなのでしょう。その根底に
「死にはしないし、安全でしょ(生存・安全)。誰か、助けてくれるでしょ(帰属)。」
という感覚があるのでしょう。
さて、欲求5段階説の、「生きたい」という欲求や権利には誰にでもあります。
排泄も自分でままならない入所者へサービスを施す、介護職の方々には頭が下がります。
「生きる権利」
という欲求、需要を、介護サービスにアウトソースして満たしてもらう。
需要と供給が成り立っています。
いまさら、
「人生を精一杯生きよう」
と、鼓舞するものではないです。
ただ、今回の登頂はとても得るものがありましたので、備忘までに書きます。