9/10-11と管理職合宿を行い、よい議論ができました。その夜は同業の方と会食でした。その方は年もポジションもほぼ同じで、性格も真面目さも全然違うのですが、どこか心地よい空気と言葉のある時間を過ごせます。
その時のライムby Uさん。
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・プアなイノベーションより、優れたイミテーション。
→ これは最高ではないでしょうか。
中途半端にやるより、しっかりまねしとけ、と。
・時代が、英雄を創る。
・土地は力や。
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おー、いいねそれ!
なんてことをBarで語りあっておりましたが、死生観についても少し話しました。
同時多発テロのあった当日、9/11 は私の亡くなった弟の誕生日でした。彼は、とても真面目で優秀でしたが、二十歳になる少し前に急性白血病で亡くなりました。血液型がA型からO型になるくらいの移植をしました。
しかし結局私は、医学的にも、政治的にも無力で、精神的にはもっとできたこともあろうに甲斐性もなく呆けておったので、何もできませんでした、というか、しなかったのかもしれない。どうしようも無い兄であると今も思います。
今は、時間を見つけて墓参りに行くことぐらいです。墓碑の前で、いまだに受け入れがたい事実に疑問を感じると共に、もし彼が生きていたら、起業はおそらくしていなかった。と思うこともしばしばです。彼への恩返しができるとしたらなんなのだろう、としょっちゅう思います。
せめてもと、私の車のナンバーは911としていますが、高速道路でフルスモークの大型ベンツにあおられる程度で、彼が還ってくるわけはありません。
Barで久々に思い出した、ゴルゴ13の「黄金の犬」からの引用をします。
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子供が産まれたら子犬を飼うがいい、
子犬は子供より早く成長して、子供を守ってくれるだろう。
そして子供が成長すると良き友となる。
青年となり多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。
犬は青年に教えるのである、死の悲しみを
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めったに自分の近しい人は死なないもんですが、死ぬ時はあっという間です。その犠牲をもって分かることもあるだろうが、時すでに遅し。ということもある。
弟の分まで!と思ったことはなぜか無いんですが、彼が小学生、私が大学生の時にもらった「努力」というフレームは私の机の上に常にあります。
「お兄ちゃんは努力が嫌いだから、これをあげるわ」
と言われました。そのころから何か変わったんだろうか。
しかし、少し重いエントリだ。