タイトルは、堺屋太一さんが何かの本でおっしゃっていたことです。
「人生の全てが会社に帰属する縁から、趣味などを通した縁の社会に代わっていく」
と言うようなことでした。このフレーズは以前にも少し触れていたようです。さて、話題のFacebook考です。私は2009年7月にお客様から教えてもらって知りました。
「同窓会ツールというか、昔の知人などの音信を知るのにいいよ」
ということでした。
教えていただいたお客様(新宿の本質への挑戦者、と呼ばせて頂きます)は、アメリカから発信する世界のソフトウェア企業にお勤めなのに、なぜか当社のサービスデスクを指名したチャレンジングな方です。仕事を一緒にさせていただいた時も、外資系の方だけあって、非常に効率的な判断をされる方でした。
以前、挑戦者がおっしゃっていたことをそのままメールから転記します。
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昨今のインターネット時代に、日本語で得られる情報だけを自分の業務に役立てるのか、日本語で得られる情報と英語で得られる情報の両方を自分の業務に役立てるのかで、その人の可能性が大きく異なってきます。
世の中の情報のすべてが日本語に訳されているわけではありませんから、日本語の情報しか検索できない人は、井の中の蛙になってしまいます。
たとえば、日本語のマイクロソフトのサイトには、載っていないことも、英語のMicrosoftのサイトには載っている場合があります。英語サイトを検索し、読解できるかどうかで、トラブルシューティングが出来るかどうかは決まってしまうこともあるわけです。
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やっぱり英語をやらなあかん。私が改めて思ったきっかけでした。
Facebookにしても、知っている方は2年以上前からタッチしているわけです。その差は、まさに日本とアメリカの時間差のような気がします。私も、Kenji Fukuta で登録しています。
Facebookは、
「人を知る、好きな縁を絞る」ツール
としては非常に有効なツールです。プロフィール欄に自分を解放すればするほど、親近感を創るツールとなります。心理学でも有名なジョハリの窓では、
自分が知っている知らない
他人が知っている知らない
を4つのマトリクスにし、
明るい窓:自分も知っている / 他人も知っている
盲目の窓:自分は知らない / 他人は知っている
隠された窓:自分は知っている / 他人は知らない
未知の窓:自分も知らない / 他人も知らない
としています。その中では、
明るい窓の領域を大きくしましょう!
未知の窓にチャレンジしましょう!
と言われています。Facebookは、その「明るい窓」を大きくするツールなのでしょう。
・実名
・学歴
・社歴
・趣味
・言動記録
・旅行記録
・嗜好品
などを明らかにすることによって、
「へ〜そうなんだ」
がおきます。そして、実名でプロフィールを公表する以上今後は
・階層の固定化 (レッテル化したうえでのコミュニケーション階層)
・嗜好 / 同窓によるコロニー化
が起きるでしょう。みんなが窓を開放しだした。すると今度は、
「どの窓をノックしようか」
が起きるわけです。
「あーあの人ってそうなんだ。興味あるな。もしくは、やめとこう。」
という流れになるでしょう。またそのレッテルはあながち外れません。例えば私は、バイエルンにある自動車メーカーの中古車に乗っています。よく、
「○○君の稼ぎがこのwheel なんですね」
「稼いでる会社は違いまんな」
と言われますが、稼いでる稼いでないは別として、耐久性と快適性、運転が下手だから左ハンドルしか扱えないを考えたときの選択でしたから色眼鏡で見られることは少し違和感がありますが、確かにちょっと生意気ですかね。ヨーロッパではタクシーとして走っているなわけですし。話しがそれました。
その同じメーカーを選んだ方に親近感は感じずとも、嗜好性の一致は感じます。あまたある製品の中からそれらを選ぶ理由は必ずあり、その価値観への共通性はあるはずだからです。例えば車なら、とあるメーカの
セダンに乗る人
ミニバンに乗る人
スポーツカーに乗る人
車に乗らない人
なんらかの決断の理由こそが明るい窓に現れます。
さてまた、学歴の公開というのはユーザコロニーを限定し、先入観を持ち込むことになるでしょう。私も思い出としてあるのが、所沢にある球場でアルバイトをしていた時のことです。売店にいた私は、観客の一人に話しかけられました。見た目は、お世辞にも紳士では無い方々です。
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「お兄ちゃん大学生?どこの大学?」
「言えるほどの大学じゃないですよ。」
「そらあかんわ。自分に誇りを持たな。言えんような大学なんてないで。あかんあかん。」
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と言って去っていかれました。そのやり取りの景色は今も鮮明に思い出します。
・親元から出たかったから、在京の現役で受かりそうな大学
・古文が無い文系
を大学受験の選択肢とした私は、いまだにそのレッテルから逃れられません。
たかが3か月程度の勉強で塾にも行かず、現代文と日本史だけでほぼ合格点を取ってしまったがゆえにその狭い視野によって人生と社会をなめきってしまいました。親の資産で行かせてもらった学校にもろくろく行かなかった私は、いまだになんの恩返しもできていません。またその妥協グセも完治していません。また話しがそれました。
たくさんの実名の明るい窓の選択によって、
・人々の最初の出会いに関する確度
は高まるでしょう。しかし私は、今のブームについて
・拡散、利用頻度の限界点
があると見ています。今、頻繁に更新している人、他人にタッチする人もいずれ、頻度は落ちるでしょう。確かに、今までにない出会いができることは事実で、出会いの情報密度も濃い。それは、電子つり書みたいなもんです。
しかし、touchできる人間は時間的にも限られる。知人友人と懐かしいね〜と、Facebookで井戸端会議をしても、その時間はよくても、振り返ってみたらそれ自体は回顧主義と言うかなんというか。
Greeting at once a year.
程度ならいいでしょう。
PCの前での過剰な情報のやり取りは、いつかおなかいっぱいになるのではないでしょうか。またそもそも、英語には「懐かしい」という単語がありません。
Facebookは日本人が大事にする「あの頃はよかった、楽しかった」発想が、「懐かしい」という単語を持たないアメリカ人によってWeb世界に作られた。たまたま英語だから全世界に広がった。ということではないでしょうか。
最後に、その挑戦者の言葉で覚えていることを言います。
「福田さんね、外資はことさら学歴社会の上の実力社会なんだよ。 よほど日本企業より学歴重視だよね。私は、海外でも働きたかったから外資企業入ったんだが、今ふと思うと海外に展開する日本企業の海外部門のほうがよかったような気がするな」
というわけでした。
Facebook はほどほどに。
出自が明らかでも、GIGO (Garbage in Garbage out ) にかわりはないのです。
大事なのは、「自分が他人に何ができるか。」です。
また、「自分が何を考え、言ったか。」です。
自分に力が無いのに、他人に力を求めてもムダです。
相応のつり合いしか取れないように、世の中はできています。
他人の時間と力は限られていますし、他人が何を言っても、決めるのは自分です。
ps
なお私は、学歴主義者ではなく学歴による統計を重視する者です。スタッフには、
「学歴は重要項目であるし、時間と教育投資がすぐに覆るほど世の中甘いものではない。しかし、私はこんな学びの歴史だが、ここからこうなった。」
というナニクソ魂が重要であることは伝えています。
せっかく同じ会社を選択したわけですから、コンプレックスでもなんでもいいから共通の価値観を元に、外への価値を作りだしていきたいものです。 )5