若さがまぶしい
人の夢と書いて
儚さ
ということを最近思い出した。
今回、若手と共にプロジェクトに入っている。
私のすぐ隣で、キラキラと前向きにエンジニアリングする26歳の彼がまぶしく、今後が頼もしい。38歳の私には、出せない空気だ。
私は、「ITネットワーキング」に関わりだして既に12年以上が経ってしまった。ちょうど、彼と同じ年代からだ。当の本人はあいも変わらず、IPがどうだこうだと言っている。
このプロジェクトでは私自身も作業をしている。いつもの
「依頼/指示する立場」
から
「指示される立場」
になった。その視点から学ぶことがとても多い。
つまり、「される側」の気持ちがわかった。
「伝え方、伝える内容」は大事だ。
イニシアティブをとれない立ち位置での、調整での難しさがわかった。
→普段は、その場所には身を置かないようにしている。
「経験」は、ある側面の人のフレッシュな感情を老化させる。
もちろん、失う代わりに得ているものもある。想定内の成果、状況は、対応する感情、立ち振る舞いを自身の経験データベースから引き出せる。
状況へのふてぶてしさ、妙なうまさ(巧妙というのか?)を、老かいとも言うのだろうか。年輪ともいうのか。
つまるところ、
「同じことを、同じレベルでは、感動も薄くなる。」
ということだ。より新しいことを、より高いレベルで成果を出していかないと、人間は老化する。その新陳代謝こそが、未来の
儚さ。
を防止するのではないだろうか。
このプロジェクトは、とてもよい経験になっている。改めて感謝したい。
そして、ひと段落ついたころの、海外への段取りを済ませた。