意思表示だけはしよう
好きではないのだが、社内で四半期面談ということをやっている。
お仕着せの目標設定と、毎度の進捗なしだ。
誰が悪い、というモノでもないだろう。
Topのコミットメントを部下が超えることはない。悪いとすれば私だ。
「面談」という「棚卸」より、「確認」の場であるべきだ。
日ごろから見ていれば、変化はわかる。
それでも今まで、評価シートの拡充だ、360度評価(アンケート)だとやってきた。
が、それで他人が変わらない、特に成果もない。
するほうも、されるほうも疲れる。
あんなものは、企業人事系の自己弁護、後から理由づけ、存在証明のための過った方策と斬ってしまおう。どの企業の現場も、「めんどくさい」と言っている。
モティベーションや自己変革は、
自分にとって必要で、面白い仕事、コトによって担保される。
「恋愛だったら、モティベーションあがるだろう?」
というようなことを引き合いに出す上司は、私は間違っているといいたい。
なぜなら昨今、男女間では三高ならぬ、
三平:平均、平凡、平穏
三等:対等、平等、同等
というそれこそ凡庸な関係性らしい。
もちろん、”三高”がいなくなったわけではない。
一定割合で、”三高”はいるのだが情報の均一化によって、低い側の存在感、連帯感が増したことによる、時代に迎合したテーマなんだろう。
同じ行動からは同じ結果が生まれるのみ。
平凡な恋愛を成就しても、平凡な結果しかない。
昔、そこには安心・安定があったが今の時代はどうか?
自分の周りには、自分と似たような人間しかいない。
そら、いい異性と付き合いたいという高みを求めるなら、野心的に努力しないとね。
モノサシは自分で作ったらいい、結果への責任をもって
今年は、「・・・のために、1か月休みます!」という目標設定でもいい。
休むための準備と納得を周囲から取り付ける努力は、今までの仕事のやり方をくつがえす一番の方策だ。もっと自由と責任を謳歌してほしいな、と思う。
そういったこともあり、今回から、
ゆるいマネジメント
と、初めて言い出した。
・やりたくないことは、やらなくていい。
・苦しいことなら、逃げればいい。
・が、やるべきことだけは、やること。
と、全社に伝えた。
これは、日本の教育や日本人の特性(DNA)の問題なのだろうが、
教室で「この問題、わかる人」と言って手を上げるのは小学生まで。
中学生になると、挙手は無くなる。欧米では、手を上げ続ける。
「答えを誤ること。」を恥と感じるからだろうか。
「皆と同じ行動であること。」を美徳とするからだろうか。
この会社にとっての「やるべきこと」とは、「意思表示」だ。
「やりたくない、できない」ということを言えるということ。
「じゃあどうするの?」
に、明確な対案があること。「手を上げる勇気のある者」
と、「話せる会社」にしたい。
当然、自己責任のツケは自分、自社に帰ってくる。
評価が目的ではない。
以前にできなかったことができるようになること。が目的だ。
失敗しても誰も責めやしないし、死にもしない。病気もしない。
あなたがいなくなっても、世界は回る。
たかだか、デスクワークじゃないか。
言ってやれ、評価者に。
So what? だから、なに?