ヒ!
自分が40代。信じられん。ド中年やないか。
正確には満39年を生きて40年目が始まったわけで、
以前、こういうことを書いていた2007年。32歳。
あのころは若かった。文体が活き活きしている。コワいわ。
あれからいろいろ間違えた。もぅ、いろいろ手遅れ。
取り戻せないことだけ、わかっている。
感性の鈍化、挑戦・準備・野心の減退減衰、愛情の欠如、肉体の衰え、and more..
知的好奇心が旺盛なのはまだ救いか。
ネコ飼いたい!
とか思い出したらヤバいなぁ。
ネコみたいな一生でいいんだけど。どこからかやってきて、盛って、どこかにいって。
今の延長線上に何があるのか。
人生終わった、やりきった感もあるが、あらためて考えてみる。
「40代ってどうなん?」
そして、以下の結論、納得を得た。今までをどう活かすのか、楽しみではある。
40代は、整理の10年+原点回帰
人間、小さい時の価値観、人格がそうそう変わるわけはない。
自分という存在は好む好まざるにかかわらず、他人によって定義される。
顧客がいるから、業者。
上司がいるから、部下。
スタッフがいるから、代表者。
リーダー(決める人)がいるから、フォロワー(決めるのを手伝う人)。
感情があるから、論理。
主観があるから、客観。
配偶者がいるから、一方の配偶者。
親がいるから、子。
右がいるから、左。
自由主義と、平等主義。
etc
もういちど、原点回帰。つまり、自分一人の小さい時の価値観を思い出す。
酒は飲まない。ゴルフもしない。仕事も勉強もしていない。本は読む。ピアノ、書道、珠算、プールを習った。
何一つ非凡ではない。つまり、平凡、凡百。
でも、不安は無かった。何も考えていないからか。
・・・
20代は、なんでもやる。
失敗しても許される。終わりなんてない、なんでもできるという全能感。
見えているのは狭い世界。でも、特にハードワークはしてない。
30代は、やって、目立つ。
できる、という根拠のない自信、頭も打つ。
無能感と見えてくる広く、届かない世界。やっぱり、ハードワークはしてない。
40代は、整理する。
できる / できない。 する / しない。 合う / 合わない。好き / きらい。
いる / いらない。 過去 / 今 / 未来。 and more.
当然、ハードワークはしない。
50代は、人をたてながら結果を出す。
一歩引く。周囲をたてる。結局、ハードワークはしない。
60代は・・・?
あと20年?今から20年前からをもう一度?考えない。考えたくもない。十分!
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ウブロのリーダシップのPRサイトで、北野氏と弘兼氏に共感する。彼らの作品は苦手だけど。
大事なのは、
・客観
・そのための距離
だ。 生まれた日は特に祝うでもないので家でアジフライをつくってみた。
これが
こうなって
こうなる。なぜなぜどうして、脂がのってムチャウマい。 あぁ、刺身用だったのか。
関アジって本当においしいのかな。