「人間の成長」とはなんなのだろう?
タイトルは、「情報の成長」を指す。
私も自分なりに40代。モノ・コト・ヒトがはっきり見えるようになってきて、面白さと、マンネリのはざまでもある。成長というか即物的になっている。
「煎茶」のカルチャー教室にたまに触れ、「様式美」の価値もわからんでもない。が、どうにも違和感を感じるし、一生こういった価値観なのだろう。
6年前に、こういったことを書いている。
該当のヒトの6年間の成長はなんだろう?賃金は200万円近く上がっているが、対価は加齢と資格だけだろうか?モノ・コトの本質を見る目を養わない限り、知恵にはならない。共有のため、社内に送ったことを書き留めておこう。
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■ そもそも「情報」ってなに?「知識」「知恵」とは?
なぜ「タイミングよく共有」しなきゃいけないの?
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①情報(その時にHOTなコト)
⇒ “ベータか?VHSか?”、今の情勢を判断する一過性の情報・・・点
②知識(情報のうち、一定の体系化がされ広く汎用化されたもの)
⇒ “VHS”が勝ったよネ。標準だよネ・・・線
③知恵(知識のうち、前提や基本となり、今後の指針とべきもの)
⇒ “VHSの次”はどうなるんだっけ?・・・面
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“DIKWモデル”も同義。
上記①~③は時間軸であり、上司や部下などタテの関係には「粒度」が必要。
・時間(ヨコ)
・粒度(タテ)
を掛け合わせて初めて意味がある。
例)上司に粒度が細かすぎる報告は不要・・・実務はキミだよね?
判断する情報粒度が必要。
遅すぎる情報・・・上は判断して、行動できないよね?
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最後は結局、経験などではなく、センスなのだろう。量質転化がいつかおこるのかもしれないが。