昨年、当社管理職に言われたことがある。
福田さん、
「一流は、人をモティベートできる。
二流は、自分で自分をモティベートできる。
三流は、人にモティベートされる。」
なんですよ。
へぇ。
「じゃあ、私は二流だね。
一流はいなくても、せめて三流がいない会社にしたいよね。」
と返答した記憶もある。
マウイ マケナ
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今回の登頂(夏山限定)で、いくつかの(富士山、八経ヶ岳(大峰山系)) 日本百名山のピークハントをしたことになる。
登山を始めて以来、いろいろな情報収集をネットで行うが、
ブログ、サイトへの書き込み、まぁ!多い!!
山男、山ガールたちは、
「わずらわしいシャバとの関係」
を忘れる、絶つことも一つの目的であろう。
「結果、成果」の発信によって、読者に「承認」 してもらう行為は
「自己実現」!
の実証によいことだと思う。それが、「錯覚」である可能性は大いにあるが。
さて果たして、このまま私が
ボク、(がんばってるでしょ)
百名山を登ったでしょ!!
などでいいのか、という疑問がわいてきた。
ボクのゴルフバッグ。痛い?
先日、お付き合いの古い、当社を育てていただいているPMさんと飲んだ時、
「福田さん、最近ぶれていない?」
と言っていただいた。
風見鶏プロジェクトってなんのことだっけ?
このブログも一緒で、最近
ボク、生きてます。
ボク、がんばってます。
ボク、こうなんです。
etc
と、かなり 痛い 内容ではないだろうか。と、フト、思うようになった。
このブログに記述する内容について、それなりには考えている。
が、ブログは双方向性が乏しいので、発信者目線になりがちだ。
「営業マン」として、「ボク、弊社、弊社の製品・サービス話ばっかりするヒト」は最低だ。
そういえば、村上春樹氏の本でも
「僕」「僕」
という一人称だけは違和感を感じる。 ボク、ボク、うるさいなぁと。
「オレ、わたし、わたくし、オイラ、小職、小生・・」
英語だったら、「 I (アイ)」 だけなのではなかろうか。
私がブログを始めたのは、
・書く、記録による、当時のイベント、記憶の備忘
・離れて就業するスタッフへ、自分が考えていることを伝える。
・(控えめに)社会へ発信する
ということだった。人間、「メタ認知」 ができなくなったらおしまいだ。
社内のスタッフから
・あいつは、ゴウマンだ。
・ヤツは、自分勝手だ。
・人の話を、聞かない。
などは、さして痛くもかゆくもない。
組織にそういう人間が一人もいないのはまずい。
日和見主義では遅すぎる。結果がものを言うこともある。
が、
「Topは、ボクちゃん(自己陶酔、自己判断、自己満足ヤロウ)だよね。」
は痛い。 チョー痛すぎる。 これだけは、言われたくない。
マケナゴルフコース
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私は、ボクではなく、この会社のTopとしてやるべきことがある。
「ボク」という一人単位の一人称は、法人という複数の人間による人格には絶対になりえない。
※正確にはなりえる。一人のみの法人もあるから。
ボクの、「自己実現」 も、大事だろう
が、 運用している 「会社の自己実現」 がおろそかになっていないか?
会社という人格を成長、実現させるために必要なのは、会社を構成する、ヒトだ。
ライフネット生命では、
「岩瀬さんのブログ」
を、見て手伝ってやろう、と、優秀な方々が集まった。と聞いた。
私ののブログを見て、この会社に入社したい、という人は少ないだろう。
それはそれで、入社前のスクリーニングが済んでいる。私としては狙い通りではある。
社長の仕事は、採用
というのは正しい。私の「自己実現」の一つとして、山登りもほどほどに、
「自分で自分をモティベートできる人材を集める」
ということを一つの目標にしたい。私が考えるに上司は、
1.その人の能力、向き不向きを見て
2.パフォーマンスを最大化させる
3.正しい目標(登るべき山)をセットすることが一番大事。
モティベートするしない、は二の次。
三流以上なら勝手に登っていく。
いたずらなモティベートは、「甘えと盲信」を生む。
そして、間違った努力は、「ボクちゃん」を増殖させる。
「ボク、がんばってるでしょ!」
ボク、が書いているこのブログも気づけば満7年も経った。
考えないとね。