白峰三山を縦走する。
この連休、知人と共に南アルプスにある山々を縦走しました。ビジネスでの命題ともいえる、
「一番じゃなきゃ意味がないよ。」
というたとえ話で、
「日本で一番高い山は?じゃあ二番目は?」
の二番目「北岳」を含みます。
家を買ったので、それらをかついで2泊3日です。
昨年、何気なく登山 を始めて以来、百名山のうち5座目(北岳)6座目(間ノ岳)となりました。
手前が素人。奥が玄人が張ったテント。
知人とたまたま同じだった、ブラックダイヤモンド、ハイライト。
「帰属」を開放する。
4月に石鎚山に登った際に、
を記したが、今回思ったのが、「帰属からの解放」ということです。
北岳の肩の小屋(3,000m)の様子
高度3,000m以上で、たくさんの人がうごめく。
テントも、どんどん増える
皆はなぜ、山に登るのだろう。こういう景色が見えるからだろうか。
朝の富士山。
山においては、人ひとりが通れる道であいさつぐらいはかわす。
しかしもちろん、相手は誰かもわからない。どこの人かもわからない。
当たり前だが、「帰属」は関係のない世界だ。
頭と頭がこっつんこ、おつかいアリみたいなもんだ。
「あんた誰か知らないけど、とりあえず同類みたいね。」
人間は、3,000m以上でも生存でき、とりあえず無事、安全らしいことがわかる。
わざわざそんなところに行かなくてもよいのだが。
普段、生存も安全も満たされている中で、「帰属」の日常が息苦しくなるときもある。
高度3,000mでも、息苦しくはないのに。
草すべりルート。500m を登る。ってなんだ。
日常に帰属し、承認も自己実現もできなかったとする。
「山に登ったよ」という実績が承認にもなる。「自己実現」となる。
もともと帰属意識の薄い私が山に登るのは、「非日常性を求めて」だと思う。
ひょっとしたら、よりどころを探しているのかもしれない。
偉大なるマンネリズムからの逃避。
非日常から日常を振り返ると、下界の当たり前であったり、何気ないことが、
いかにめぐまれていることか。翻ってバカバカしいことか、にも気づく。
下界から持っていったワインとハムで酒盛りをしていたら全部忘れてしまった。 非日常なビジネスにもチャレンジしたい。