3年に一度ほど、社会保険の調査がある。そこで間違いを指摘され、やっと修正の申請届けが終わった。
修正によって、遡及の支払いは労使合わせて200万円程度。
実に11月末の徴収額は350万円の見込み。 超、超、超、痛いんですけど。
健康保険の充実は日本が世界に誇る制度だが、
生かされている人
を増やす制度に違いないことも事実。この、高齢社会は国民が望んだことなのか?
長生き=幸せなのか?
あっちを見てもこっちを見ても、ジジババばかりじゃないか。狭い国土だからよけいに目立つ。
私も来年40。昔なら完全にジジイ。肉体の衰えにジクジたる思いだ。
社会保険はつまり、応能負担の税金である。当然、徴税コストは安いにこしたことが無いのだが、いまだに紙で記入して申告する。
また、徴収結果は紙切れ一枚で通知される。月に1枚、「総額でこれだけ払ってね。」というふざけた紙がくるだけだ。
従業員の誰に対して、なんのために、いくら保険料を払ったかすら明確でない。
明細には調査申請を出さないといけないし、それでも金額はわからない。
いまどき、年金に期待をして生きる若者などこの国にいるのか?
富の連鎖による偏りが生きづらい世を創る。
当然、そんな成果を出してくれる組織の調査担当者に大いにかみつく。そんなことしても、意味はないのだが。
そうすると、年金による長生きした時のメリットとか、障害年金とか、出産一時金とか主張しだす。
は?
・なぜ、おたくらは間接的な仕事を増やすのか。
月額変更、算定基礎の紙ベース申請など、いまどき信じられない。
こんな複雑なフォーマットに、同じ内容を何度も記入する意味があるのか?
所得を把握するシステムを創り、後からでも個人ごとに徴税したらよいのではないか?
カイシャが間にはいって控除する意味があるのか?
カイシャの私文書まで要求する本質的な意味はなんなのか?
・年金といっても、それぞれの人生設計は別。
長生きもせず、家族もいない場合はなんのメリットがあるんだ。
当然、相互扶助の観点から払わなければいけないのはわかる。
でも、過去(戦争)の反省から、個人の自由と安全に踏み込みすぎた時代による、時代遅れの制度じゃないか。
・納付するメリットを書いた、パンフレットなどはないのか?(ないらしい)
お役所に従うこと。
それが日本国でビジネスをするルールなんです。それをみんなで守らないと土俵にたてませんよ。
というのもわかる。が、増えるのは作業だけ。
息苦しさだけ。そして、その作業をするための人間だけ。
先日は、以前取得した助成金に関する追跡調査があった。
「会社の人が減りました。仕事量は増えました。定時時間は削減しました。で、残業が増えました。でも、賃金も増えました。」
という「結果」。
働き方を重視して、納期に間に合わなかったら、信頼を失ったら、利益が出ません。雇用も確保できない。
調査担当者はそれぞれ、
「マジメで、正義感のある、とてもいい人 (じゃないと、官の仕事は手伝わないだろう。)」
なのはわかる。
が、毎年コロコロ変わり、同じことを説明しないといけない。それこそがムダで非効率。
正義が個人ごとに孤立するのもよくない。
大組織によって作られた思い込みの正義も危険。
私は、
「それなりに合理的に、楽しく仕事をしていると自負」
がある。
役所の方々に、形式美の書類の書き方はありがたく教わっても、仕事の仕方、生き方まで指南される覚えなどない。
官主導の不合理、非効率なルールに、民を乗せることに意味があるのだろうか。